醤油2 野田や銚子に・・・ [おコメと、そのパートナーたち]
室町時代に入ると、商品としての醤油の製造が当時の文化の中心、関西で始まります。
政治の中心が江戸に移った江戸時代の初めまでは、上方の醤油が主に流通していました。
しかし、このころの醤油の値段は、米の3~4倍と、かなり高価なもので、今日のように一般に普及するようになったのは、それよりもう少し後のことです。
人・物・情報がどんどん江戸に集まり、華やかな大江戸文化が幕を開ける頃になると、野田や銚子の醸造家を中心に関東近郊でも醤油が生産され、多様な食文化の発信地となり、江戸の需要に応えるようになります。
色の濃い関東風の濃口醤油が、またたく間に将軍家から庶民に至るまで上下のへだてなく江戸っ子の食生活に浸透していったのです。
政治の中心が江戸に移った江戸時代の初めまでは、上方の醤油が主に流通していました。
しかし、このころの醤油の値段は、米の3~4倍と、かなり高価なもので、今日のように一般に普及するようになったのは、それよりもう少し後のことです。
人・物・情報がどんどん江戸に集まり、華やかな大江戸文化が幕を開ける頃になると、野田や銚子の醸造家を中心に関東近郊でも醤油が生産され、多様な食文化の発信地となり、江戸の需要に応えるようになります。
色の濃い関東風の濃口醤油が、またたく間に将軍家から庶民に至るまで上下のへだてなく江戸っ子の食生活に浸透していったのです。
2009-06-21 06:57
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