海苔① 古代人が食べた「イワノリ」! [おコメと、そのパートナーたち]
のり(古くは乃利と書きました)が上古の時代から食べられていたことは、1万年以上前の貝塚から発見される海藻類の豊富さから、十分に想像することができます。
けれど、その頃ののりは、岩礁などに着生するイワノリであったと考えられます。
出雲風土記(733年)には「紫菜(のり)は楯縫郡(たてぬいこうり)がもっとも優る」という記述があります。
出雲の楯縫郡の海岸(現在の平田市十六島海岸)で採れるイワノリがいちばんおいしい、という意味です。
また日本で最初の法律書である「大宝律令」(701年)には、約30種類の海藻類が「調(みつぎ)」として挙げられています。
調は税金のこと。つまり、奈良・平安時代には、のりを始めとする海藻類は、税金の代わりとして納められるほど価値があり、貴重な食べ物であつたことをうかがい知ることができます。
けれど、その頃ののりは、岩礁などに着生するイワノリであったと考えられます。
出雲風土記(733年)には「紫菜(のり)は楯縫郡(たてぬいこうり)がもっとも優る」という記述があります。
出雲の楯縫郡の海岸(現在の平田市十六島海岸)で採れるイワノリがいちばんおいしい、という意味です。
また日本で最初の法律書である「大宝律令」(701年)には、約30種類の海藻類が「調(みつぎ)」として挙げられています。
調は税金のこと。つまり、奈良・平安時代には、のりを始めとする海藻類は、税金の代わりとして納められるほど価値があり、貴重な食べ物であつたことをうかがい知ることができます。
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